| 1 > 2 > 3 |
![]()
ちょっとストロークは長めだが、でもカチッと決まるギアをローに入れクラッチをミート。比較的空いた環状八号線へ走り出す。するとどうだろう。10mも走らないうちに、神経がボディの隅々にまで行き渡ったような感覚が、私を包み込んだ。 “なんか・・・すごくイイ感じ!” そして私は誘われるように、アクセルを床一杯に踏み込む。 “や・・・やっぱり速い♪” 5.56kg/psと、第一級のスポーツカー並のパワー・トゥ・ウェイトレシオを誇る147GTAなのだから、とても速いことは想定内だ。だがこのクルマはただ単に物理的に速いというだけではなく、同じエンジンを積む156GTAと同様、私の体の全ての細胞が思わず喜んでしまうような、感性とシンクロした「速さ」である点が嬉しい。そしてその速さの源である、しっかりと内燃機関感覚を伝えてくれるこのエンジンの、4,500回転以上で発するサウンドが最高だ。だから試乗中はついつい良い音が聴きたくなって、無駄なシフトダウンが増えてしまった。コーナー入り口はもちろん、普通に赤信号で停まるときですら、ヒール&トゥを使って「ファン!ファァァーン!」――ちょっとやりすぎ?蛇の毒が体に回ってしまったのだろうか?

![]()
しかし、このクルマの持つ最大の美点はと言えば、「人車一体感覚」のひとことに尽きるだろう。神経がボディの隅々にまで行き渡り、まるで147GTAが本当に私の体の一部になったかのようなフィーリングは走行距離とともにますます強まっていき、まるで自分の体が拡張したかのような感覚に、私は酔いしれた。ここまでクルマとの一体感を感じられるロードカーに出会えたのは、初めてだ。 スポーツカーには大別して、「有り余るパワーを何とか制御して」喜びを得るタイプのクルマと、「全てを支配下に置き、完璧にコントロールすること」によって喜びを得るタイプのクルマの、2種類がある。私が好むのは後者の方。そしてアルファロメオ147GTAに、ひとつの理想を見つけたと確信した。 “このクルマ・・・欲しい!!” 眼前にコーナーが迫る。きつめのブレーキングをしつつシフトダウン。147GTAは素晴らしい一体感覚をともないつつ、何事もなかったかのように「スルリ」とコーナーをクリアしていった。

![]()
“もし仮に今の時代に、レオナルド・ダ・ビンチやミケランジェロが存在していたら・・・彼らはきっと、フェラーリを創っていることだろう” 日本ではとても考えられない発想だが、イタリアでは大真面目に、こんなことが言われているという。イタリア人の、クルマというものに対する考え方が良くわかると同時に、イタリア車を理解する上で、とても参考になるエピソードだ。 日常の些細なものにまでついついアート性を求めてしまう癖を持つ、デザイン大国に住む“スピード狂”の国民達。そんな彼らや彼女らが、愛して止まない自動車に対し、走りも含めた全ての点に芸術性を求めるのは必然のこと。増してやフェラーリの母たるアルファロメオは、熱いイタリアの象徴だ。国民の期待から逃げるなんて事は、絶対に許されない。 “アルファロメオのクルマって、そのスタイル、インテリア、エンジン、そしてその走りに至るまで、全てが芸術的。そう。アルファって、クルマの形をした芸術作品なんだ” 試乗を終え147GTAを改めて見つめた私の心に、“欲しい”という気持ちに加えてそんな感想が浮かんできた。 優れた芸術作品には血が通うというけれど、ひょっとしたら147GTAにも血が通っているのかもしれない。もしそうならば、あそこまでの一体感覚が得られるということに関して、全ての辻褄が合うのだけど・・・。
impression,model:三上和美(http://mikamikazumi.net/)
text,photo:吉田 央
| 1 > 2 > 3 |








